佐藤小夜子 DANCE LABORATORY 公演『ダンス日記Vol.2 -笑顔の法則-』
2010年5月4日〜5月5日 名古屋クラブクアトロ
<批評>
佐藤小夜子DANCE LABORATORYの『ダンス日記』のvol.2は『笑顔の法則』。名古屋のパルコの8階にあるクラブクアトロが会場だった。ここはライブを楽しみながらお酒を飲む空間だ。中央のフロアーを囲むかたちで客席が作ってあった。キャパは120ちょっとというところか。フロアーの奥は高くなっていて、そこが舞台という感じなのだが、ダンスは前のフロアーもどんどん使った。入場者にはワン・ドリンクのサービスがあるので、クラブのショー・タイムを待つ雰囲気で席につくことができる。vol.1は、2006年3月に損保ジャパン名古屋ビル人形劇場ひまわりホールでやっている。そのつど新しい空間に挑戦しようという意図なのかもしれない。 男女混成の8人(山口容瑚、古井慎也、高野由美子、畑直子、鳥羽あゆみ、中島由紀子、藤浦光俊、増田ゆか)が『朝の予感』『誘惑されて』『仕事サボってブラブラ』『なぎさの二人』『傍観者→当事者』などの短編を次々と踊るのだが、構成・振付の佐藤小夜子は、その中に加わらず、黒子風のかっこうで小道具の椅子をかたづけたり、狂言回しの役どころに終始。衣裳を武田晴子、照明を御原祥子という一流クラスがやっている。この小さな会が全力投球のパフォーマンスなのだということがうかがえる。 全体は彼女得意のコント仕立て。それを気楽な空間で見る観客の反応はきわめて良い。現代舞踊というと「ちょっと難しそう」と感じている人も多い中で、この気安さ、入りやすさは貴重だ。ダンス・シーンもたっぷりとあり、1時間はあっという間に過ぎた。彼女は、2007年8月の『やがて新しい朝が来る』、2008年5月の『おとなのポルカ』、2009年11月の『Polka』とおもしろ路線の実績を重ねてきた。 今回の『笑顔の法則』もとりあえず楽しかったので、それでよいのだが、さらにぐっとおもしろくしてほしい。五項目の希望と注文を出しておこう。 ?@ひとつひとつのコントの台本をもっときっちり書いて、おかしさを際立たせてほしい。 ?Aダンスの質の割り振りを考えて、個々の場面に変化をもたせてほしい。 ?B客席と交流するシーンを作った方がよかったのではないか。 ?C8人のダンサーひとりひとりに固有の個性を持たせて、シリーズ各場面で活かして行くべきではないか。 ?Dダンサー佐藤小夜子を、狂言回しのような役どころに回らせる余裕はないのではないか。先頭に立って舞台をどんどんリードして行ってほしい。 ダンスで、観客に笑ってもらえる難しさは、想像以上のものがある。コンドルズ、イデビアン・クルーあたりが、珍重されるのはそのせいだろう。どちらもなぜか男主体のグループだ。女性のグループでおもしろいところを探してみると、珍しいキノコ舞踊団あたりがあがってくる。しかしこちらは「おもしろい」よりも「かわいらしい」で売っている。そういう意味で、女性がリーダーをつとめる《佐藤小夜子DANCE LABORATORY》の存在は貴重だ。しかし彼女には2006年11月の『道』のような、しっとりと落ち着いた作品もある。喜劇路線にばかり集中しろと言っては気の毒だ。でも、ぜひともこの路線を忘れずに、時々はダンスの客席を爆笑の渦に巻き込んで、この世の憂さを忘れさせてほしいと願うのである。 (山野博大 舞踊評論家) ----- ●柔軟に現代表現に取り組み充実した近作 新作では"幸福論"でピュアな姿勢 佐藤小夜子は名古屋で活動をしているアーティストだ。その近年は充実してきている。今年の新作では人々の笑顔の原点にある"幸福"というテーマと取り組んだ。社会を生きる人々の幸福論を演劇やパフォーマンスといったジャンルの現代表現との接点を通じて模索してみせた。 椅子に座った人々が現れる。ジャケットを着たフレッシュな男女たちだ。アニメ「ルパン3世」の音楽が鳴り響くと彼らは走りだす。豊かな時代を生きてきたジェネレーションならではの一般的な日常社会の一頁だ。台詞や朗らかな表情、導かれるテンションの高い動きを通じて新世紀を進んでいくダンサーたちの明るいトーンが立ち上がる。ライブハウスという設定が活き交差する表情がスペースに映える。 やがて帽子を被った女が登場すると日常風景から空想世界へ場面は変わっていく。頭にキャップをつけた可愛らしいキャラクターたちが客席前に現れる。一方、目の前に大きく広がっているステージ上では男女の愛情世界が朗らかに繰り広げられる。キャラクターたちは幸せな二人の姿に遠くからみとれていく。幸福の原風景はいつも切ない。夢世界の住民が踊るとイマジネーションの中にほのぼのとした心温まる世界が生まれた。突然、舞台は一転し、ロック歌手に憧れる青年のパフォーマンスが始まる。初々しく純粋なハートを表現し、身体からは動きと所作を繰りだす。ダンサーたちはこの男のムーブメントを皆で活き活きとした踊りへ仕上げていく。ラストはミュージカルのような音楽とダンスシーンによるクライマックスへ。社会が混迷をする中で人の幸福のあり方が問われている。様々な身体表現を駆使しながらその現在形に挑んでみせた。首都圏のシニカルな芸術表現と比べてみると作家のピュアな姿勢とその語り口が心に刺さった。 佐藤はダンサーたちのジェンダーの転換が印象的な「Polka」、コンテンポラリーダンスといえるムーブメントを活かした「ほとばしる汗」など多彩な作品を送りだしてきた。藤井公・利子に学び、コンクールでも活躍した。今日では粘り強く活動を重ねている。柔軟に現代表現と取り組む姿勢は現代舞踊としても重要である。この才能が中京から広く世界へ送りだしていく作品や活動が楽しみだ。 (吉田悠樹彦 舞踊批評家/音楽舞踊新聞 2010年7月21日号掲載より引用) ----- ●佐藤小夜子の挑戦 尾張・名古屋は古くから芸どころとして知られ、舞踊もなかなか盛んである(特にバレエ)。とはいえ、私的には、時おりバレエを見に行く機会があるのと、愛知芸術文化センターによる自主企画公演に足を運ぶくらい。管見ということもあり、モダンやコンテンポラリー系のアーティストの中堅・若手クラスで自主公演を中心に活発な活動を展開するアーティストはなかなか見当たらない印象だった。そんななかゴールデンウィークの最後に、意欲的な公演に接することができた。佐藤小夜子DANCE LABORATORY「ダンス日記 vol.2−笑顔の法則−」である(5月4、5日 名古屋クラブクアトロ)。 佐藤は故・三田美代子のもとで踊り始め、1985年からは振付も手がけて合同公演等に出品。1993年より故・藤井公、藤井利子に師事している。近年はモダンダンス畑の枠にとらわれることなく俳優やパフォーマーを用いた異色のパフォーマンスを展開しており、地元のみならず東京でのジョイント公演やショーケースにも参加するなど積極性が際立つ存在だ。これまで東京で観ることのできた佐藤作品は『足並みそろえて』『おとなのポルカ』『Polka』といった小品佳作。そこはかとないユーモアの底に深い人間洞察を湛え、表現スタイルもダンスの枠に囚われない自在なタッチが魅力的だった。 今回、名古屋で観た「ダンス日記vol.2−笑顔の法則−」も、タイトルに“ダンス”と銘打たれているが、これは俳優やパフォーマーを中心としたキャスト陣が出演するもので、演劇的な要素も取り入れたオムニバス作品(上演時間1時間ほど)。佐藤含む9人の男女が日常的な、ありふれたようでありふれていないような悲喜こもごもの情景を繊細につむいでいく。男女カップルの切ない距離感や詐欺にあったりと転落していくバカっぽく愛らしい訛った田舎者ロックシンガー生み出す悲喜劇……。ダンサーだけでなく役者含めたパフォーマーが優しさ愛おしさに満ちた佐藤ワールドを確かな実在感を持って伝える。衣装の武田晴子、照明の御原祥子といった関東/名古屋のベテランスタッフの強力なサポートも作品に奥行きを増していた。パフォーマーの個性と役割分担をより明確にして演出・構成に緩急自在さが加わればと思ったのと、あと、もう少しパワフルなダンスが観たいというか、カタルシスが欲しい気はするが、総じて好印象の持てる公演だった。ダンスと演劇の境界の先にさらなる独自のパフォーマンスを期待したいと思う。 会場は名古屋の繁華街ビルにあるライブハウス。劇場プロセニアム空間とは違った解放感があり、ダンスや演劇に関心の薄い層でもドリンク片手に肩が凝ることなくパフォーマンスを楽しめる。そして、チラシをみると、入場券の取り扱いは地元のプレイガイド3つのほか、ぴあ、ローソンチケット、イープラスと並ぶ。 小スペースでの2日間3公演という公演規模・委託料等を考えると、自前・手売りで済ませるのが効率的なはず。それなのに手間と経費のかかることをするのは、ひとりでも新たな観客を獲得しようという意思が強いからだろう。実際、チラシや公演情報等に触れて来場した観客も少なからずいたようだ。マネージメントへの意識も高く、未知の観客が会場に足を運ぶまでのバリアを少しでもフリーにしていきたいという自助努力の感じられる制作姿勢は頼もしい。地域におけるダンスの自主公演のあり方を考えるうえで貴重な試みに感じられた。創作・制作の両面において積極的な佐藤小夜子の挑戦を見守りたい。 (高橋森彦 舞踊評論家/BLOG「ダンスの海へ」より引用) ----- 名古屋、岐阜を中心に活動している現代舞踊(モダンダンス)集団「佐藤小夜子DANCE LABORATORY」がライブハウスで公演を行った。地元で活躍する俳優なども起用した個性豊かな身体性が妙味な作品で、佐藤の既存のダンスに対するチャレンジが感じられた。メンバーそれぞれの身体性を引き出しながらまとめあげていく手腕は佐藤ならではだろう。男女8名がさまざまなシーンから織りなすこの舞台からは「日常の中のユーモア」が感じられ、見ていると思わず「ああ、こんなことありそう。」とうなずきながら微笑んでしまう。シーンとシーンの間は、黒いコートに黒い帽子を身につけた佐藤がリンクしていくのだが、その姿はどこか道化師のようにも見える。高い身体能力を感じさせる動きで舞台セットを転換していく佐藤。印象としては、道化の姿とは裏腹にコートの下で鋭利なナイフが不気味な輝きを放っているようで恐ろしくもある。楽観的な日常の中に潜む見えざる真意…そんなものが垣間見えたように感じられ、ふと自分の日常をふり返りたくなったのは私だけだろうか。 (亀田恵子 アート評論家/The Dance Timesより引用) ----- ●独特の身体表現と踊り心 佐藤小夜子ダンス・ラボラトリー「ダンス日記Vol.2〜笑顔の法則」が上演された。四年前にスタートしたシリーズで、出演は佐藤をはじめ山口容瑚、古井慎也、高野由美子ら九名。構成・振付は佐藤。 日常の何気ない人のしぐさや出来事、風景をダンスで表現した。出演者はダンサーというより身体で表現したいという欲求、つまり「踊り心」を持った役者、パフォーマーといった位置づけ。その独特な身体の動きや表現力を前面に押し出して個のムーブメントから発展する躍動を狙った作品といえよう。 ステージは朝の平凡な風景から。横一列に並んだ男女八人が眠りこけたり、化粧をしたりと、どこにでもありそうな出勤風景をこみかるに表現した。このシーンは一転、激しいダンスに変わるが、そこからそれぞれの一日が繰り広げられる。雑誌を読む、おしゃべりをする。かと思えば、なぎさを散歩するのだろうか、サングラスの男女がゆったりと踊り、それを傍観する人間が―。随所に登場する顔をすっぽり覆ったパフォーマーの存在もユニークだ。 ツィッターのように身の回りの出来事を一人つぶやき続ける男の「独白」も面白い。身体による表現は特にはないが、客席から笑いが洩れた。この作品には二つのコアがある。一つは前述した「踊り心」。もう一つが「笑」。それも"こっけいな"というニュアンスを持つ「笑」だ。客席はこの「笑」に応じたのか。 ダンスの垣根を超えたテクニックに九人の個性を重ね合わせ、日常的な動作を新しいエネルギーに生まれ変わらせたステージだった。 (あべたかこ 舞踊批評家/週刊オン★ステージ新聞 2010年6月4日号掲載より引用) ----- ●バタ臭い演出と毒気が失せ不満 ライブハウスのステージと客席フロアを効率的に使い、8人の登場人物(佐藤は黒子役)がさまざまな"日記"を体現した。 日常生活の一こまをピックアップ。音楽とシンプルな振りを加え、コメディーのエッセンスを振り掛けたのが、最近の佐藤の作品だ。 「まるでコントだ」の手厳しい批判もあるが、おしなべて観客の評判は悪くない。筆者も独創的な佐藤の作品を支持する一人だが、ダンス公演として物足りないのも確かだ。 特に今回のステージには不満を感じた。従来のバタ臭い演出が影を潜め、彼女ならではの毒気が失せた。 劇中、挫折した青年の、茨城なまりの独白が客席の笑いを誘ったが、それこそコントで、舞踊団の公演としてはあまりに寂しい。 佐藤自身のダンスを見る機会が、めっきり減ったのも残念だ。 (上野茂/ナゴヤ劇場ジャーナル 2010年6月号より引用) ----- ●独特の世界に引き込まれた 男女8人が平凡な一日をダンスでつづるコンテンポラリー作品。初見のわたしは佐藤の独特の世界に鮮やかに引き込まれた。 テーマは全部で8つ。各場面でダンサーたちの表現方法、衣装、曲、すべてがまったく異なる。彼らの身体の動きや方向性が読めないのが面白い。 軽快な場面展開も小気味良い。突然ダンサーの口からせりふが飛び出したのにも驚いた。音楽はバッハの「ブランデンブルグ協奏曲」、フランシス・レイの「男と女」などなじみの曲を使用し、親近感を持たせた。 気になったのは同じ振りの繰り返しが多かったこと。何か隠された意図があったのだろうか…。次回の作品ではこの意味を詳しく探りたい。 (星野聖子 バレエライター/ナゴヤ劇場ジャーナル 2010年6月号より引用) ----- ごく普通の日常の断面をダンス表現で切取ったユニークで楽しい舞台でした。こんなシーン、ある!ある!と思わず笑みがこぼれました。寝起きのいい人も悪い人も、急いで化粧をして満員電車で通勤、サボっての小公園でのおしゃべりは他人の噂話…、疲れて帰った我が家の夕食にほっとします。が、そんな日常が嫌になり閉じこもりのようになった傍観者が何かのきっかけで当事者になったり、若い男女がなぎさで将来の夢を育んだり、若い男がロックン・ローラーになる夢が破れても次の夢に立ち上がったり、人は死ぬまで苦労をしながら生きなければならない存在で、笑いがいかに良薬であるかが伝わってきました。傍観者が美しく歩く人を見て、自分達も美しく歩こうとしますが、その時の演者の歩く身体の姿が美しかったのが印象的でした。チラシにダンス マイナス テクニックの方程式が書いてありましたが、やはり個性が大事で、ロックン・ローラーの夢を演じた演者が魅せました。カジュアルな衣裳も効果的でした。 (河野光雄 名古屋演劇ペンクラブ理事)