佐藤小夜子 DANCE LABORATORY 公演『道』
2006年11月30日 名古屋市千種文化小劇場
愛知県と岐阜県を行き来しながら、活発な活動を行っている佐藤小夜子の新作『道』は、これまでの彼女の作品とは少し異なる冒険的な作品だった。 岐阜在住の故・三田美代子、東京の藤井公・利子に師事したあと、独自の舞踊を追求している佐藤だが、今回はダンサーでない人たちを出演させることによって、創作の新しい手法を模索しているかのようである。 千種文化小劇場は、円形すり鉢上の劇場で、観客たちは舞台を覗き込むように斜め上方から見ることになる。天井からは、6体のくらげのような物体が吊り下げられているが、人形劇団むすび座の福永朝子が透明のビニール傘を元に作ったオブジェだという。そこに佐藤が現れ、ゆっくりとゆっくりと歩みを進めるところから作品は始まる。この一場「我が道」の次に展開するのは「新しい風」と名づけられたちょっとポップなアンサンブル。等身大の若者がピアノ曲で淡々と動きをなぞっていく。手首をくねらせたりするぎこちない動きが続いた後、突然のコンピュータ音に呼応するように観客席の一部が明るくなる。赤いゴムで囲われた観客の両サイドの椅子たちが照らし出され、椅子の間にダンサーたちが滑り込む。何が起こったのか、この三場「ある日突然」での断絶、そして最後は「時の流れ」。 圧巻なのは、ラスト近くの佐藤の舞だ。佐藤を生け贄のように4人のダンサーが円をつくる。何かにとり憑かれたようにゆっくりと踊り始める佐藤。時折見せる彼女の微笑が、古代の本物の儀式のような緊張感を生む。アヴェマリアで踊るというのは、やや安易な印象も受けたが、ほかに最適な曲が見つからなかったのだろう。バケツの水を浴びながら、次第に激しく、踊り狂う。そしてしばしの静寂。天井から降ってくる大きな画用紙を隙間なく床に敷き詰め、その上に乗って、地面を踏みつける。そのひとつひとつの行為が、まるで儀式のように厳粛に行われていくことによって、天と地の間で引き裂かれる肉体の存在を感じさせる崇高な空間が広がっていく。 ダンスの根源的な力を見せてくれるような、やや泥臭く、荒々しい踊りたち。そこにはダンス的な身体を持ち合わせていないパフォーマーのざらついた質感が重要だったのだろうし、その成果は十分にあがっていると思う。さらにコンテンポラリーな舞台作品として、現代の感性にフィットする洗練さと美しさを兼ね備えていけば、今の空気に敏感な若者の心も掴む作品になるだろう。 (唐津絵理/チャコット「Dance Cube」)